2022年9月21日水曜日

「弁理士(登録番号00001)」の特許事務所があった聖地でワインを嗜む【ENOTECA事件】

 商標弁理士のT.T.です。
 当ブログで前回取り上げた「瓦そば事件」の記事に反応していただいた「瓦そば弁理士」様をはじめとして、最近、二つ名を名乗る弁理士や知財系弁護士が続々登場しています。その上、したたかに商標登録まで狙っている者もいるようです。例えば、登録6415028号「逆転弁理士」、商願2022-064706パエリア弁理士」、商願2022-078874画伯弁護士」とか。
 そんな私も、知財系判決の現場ばかり旅していることから、漫画・アニメの舞台なった土地を実際訪れる「聖地巡礼」になぞらえ、「聖地巡礼弁理士」なんて、同業から言われたりしたことがありました。 

突然ですが、創英には、「夜の交流会」制度というものがありまして、終業後に所員同士の懇親会を奨励しています。
 そこで、商標弁理士R.H.が「夜の交流会」をしたいというので、私は、場所として、銀座の「カフェ&バー エノテカ・ミレ」を提案しました。そうです、この「カフェ&バー エノテカ・ミレ」こそが、正真正銘、知財業界の聖地なのです。 

 そもそも、「カフェ&バー エノテカ・ミレ」は、一部に「エノテカ」の文字が入っていることからも伺えるように、ワインショップで有名な「エノテカ」が運営するレストランです。「エノテカ」といえば、ご存じ「ENOTECA事件」(平成27(行ケ)10058号)でしょう。

ENOTECA事件」(平成27(行ケ)10058)とは、登録5614496号「Enoteca Italiana」(第35類「飲食料品の小売等役務」等)に対し、登録5136985号「ENOTECA」(第35類「飲食料品の小売等役務」等)等を引例とした商標法4111号違反等を理由に、「エノテカ(原告)」が請求した無効審判で(無効2014-890023)、棄却審決となったことから、審決取消訴訟で争われた事件です。
 知財高裁は、Enotecaからは原告の周知な営業表示「ENOTECA」又は「エノテカ」の観念が生じ、Italianaからは「イタリアの」の観念が生じて役務の提供場所等を認識させることから、登録5614496号「Enoteca Italiana」は、不可分的に結合しているとは認められず、Enoteca」の文字部分が要部として抽出されることから、引用商標「ENOTECA」等と類似し、商標法4111号に該当すると判断しました。

 ちなみに、登録5614496号「Enoteca Italiana」の商標権者の一人は、イタリアの企業で、実際、ボローニャで「Enoteca Italiana」を営業しているようです。欧州の知財系判決ネタが溜まったら、いつか行ってみたいですね。

 ところで「エノテカ」は、本店が広尾のため、本当に「ENOTECA事件」を勉強したいなら広尾まで行くのが筋でしょう。しかし、あえて銀座の「カフェ&バー エノテカ・ミレ」を選んだのは、創英・丸の内オフィスから徒歩で行けるのもありますが、最も大事なのは、「銀座すずらん通り」と「みゆき通り」がクロスした、中央区銀座68-3という立地です。そうです、この地は、「登録番号00001」岡村輝彦弁理士の特許事務所、すなわち、初代特許事務所があった聖地なのです。

(写真:中央区銀座68-3

 当ブログで以前取り上げた「弁理士第1号は、スゴい人だった!?」(2021721日)によれば、189971日に、岡村輝彦博士が「弁理士00001号」として登録されたことを紹介しました。そして、官報によれば、岡村弁理士の特許事務所の住所は「東京市京橋區(区)南鍋町二丁目五番地」とのことですが、これが、現在の東京都中央区銀座68-3に当たるのです。

現在の東京都中央区銀座6―8-3には、「銀座尾張町TOWER」と呼ばれる商業ビルが建っていて、もちろん初代特許事務所なんてものは既に存在せず、1階テナントは、弁理士とは真逆のキラキラしたジュエリーショップです。
 そして、「カフェ&バー エノテカ・ミレ」は、1階ジュエリーショップを通り抜け、階段を上った2階にあり、隣に「エノテカ」ワインショップが併設された、銀座にしてはカジュアルなレストランとなります。


 

さて、今回の「夜の交流会」では、自分からこの場所を提案してみたものの、T.T.は、ワインの違いは全く知らない男です(商標の違いが分かる男ではありますが。)。そのため、メニューのチョイスは、周囲にお任せし、ひとまずコース料理を注文して、ワインを3本開けました。

好評(?)の当ブログ食レポですが、確かに、食事はワインに合うイタリアン料理が次々出てきて美味しかったのですが、悔しいことに、映える写真が撮れませんでした。やはり、今回のメインは「夜の交流会」ということで、それほど雑談に夢中だったためです。気づくと、2時間があっという間に経過してしまいました。
 結果的に、聖地「初代特許事務所」跡で英気を養いENOTECA事件」を学ぶことができ、そして、創英の所員間の交流も図れる、まさに一石三鳥な時を過ごすことができました。


ところで、「夜の交流」は創英の所員に留まらず、店員さんとも交流(軽い雑談)をしたのですが、つい癖で「実は、この場所は、初代弁理士が経営していた初代特許事務所があった場所で・・・」とウンチクを講釈垂れてしまったところ、弁理士のマイナーさも相まって、何とも微妙な反応をされてしまいました。
 カジュアルな「カフェ&バー エノテカ・ミレ」は、友達や恋人との普段使いにもおススメな店ですが、「初代特許事務所の聖地」だとか「ENOTECA事件」の話を持ち出して、(一般人の)同伴者をドン引きさせないよう注意しましょう。

T.T.


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2022年9月5日月曜日

元祖・瓦そばを食べてきた【瓦そば事件 識別性】

商標弁理士のT.T.です。
 さて、インターネット上の噂によれば、有志の知財関係者が集まって、「『瓦そば事件』を勉強する会」と称し、瓦そばを食べながらドンペリを空ける会が、東京や大阪であったとのこと。 

そもそも「瓦そば」とは、山口県の郷土料理で、「熱した瓦の上で油で炒めた茶そばを盛り、その上に牛肉や錦糸卵、海苔、刻みネギ、などの薬味を乗せ、これを独特のつゆにつけて食する食品」を言います。

「バナナじゃないよ西郷さん」のゴロ合わせでお馴染みの「西南戦争」(1877年)にて、熊本城に籠る新政府軍を包囲した士族軍が、野戦の合間、野草や肉を瓦の上で焼いて食べていたという逸話をヒントに、山口県の川棚温泉で「たかせ」を営業する高瀬慎一氏が1961年に開発したとのこと。
 開発者・高瀬慎一氏は、1988年に「瓦そば」を商標登録しましたが(登録2050583号 指定商品「そばめん、中華そばめん」)、その登録を発端に起こったのが「瓦そば事件」でした(平成4(行ケ)106号)。

 「瓦そば事件」(平成4(行ケ)106)とは、登録2050583号「瓦そば」(指定商品「そばめん、中華そばめん」)に対して、下関市街で「瓦そばセット」を販売していた「株式会社江戸金(被告)」が、無効審判(無効H1-647)を請求した結果、商標法313号・同2項の規定に違反して登録されたことを理由に無効審決となったため、「たかせ」の高瀬慎一氏(原告)が提起した審決取消訴訟です。
 東京高裁は、a)「瓦そば」の表示が、山口県内の川棚温泉・湯田温泉・小野田市の他、宮崎県や熊本県で用いられていたことが刊行物に記載され、一般需要者に広く知られていたことb)「瓦そば」は川棚温泉の名物料理として知られ、原告の「たかせ」の他、「川棚グランドホテルお多福」や「麺食亭」でも提供されていたことc)持ち帰り用「瓦そば」が、原告の「たかせ」の他、被告「江戸金」や「川棚グランドホテルお多福」でも販売されていた事実から、「瓦そば」は、そば料理の名称として知られていただけでなく、商品そばめんの品質・用途を表示するものとして普通に用いられていたことから、識別性がないとし(商3条1項3号違反)、また、原告の「たかせ」が提供・販売する「瓦そば」は、「たかせの瓦そば」として周知性を有していたにすぎず、「瓦そば」の名称自体が原告の業務に係る商品として需要者等に認識されていたわけではないとして(商3条2項違反)、審決に誤りはないとしました。

(登録2050583

この噂の「『瓦そば事件』を勉強する会」は、(ドンペリが飲めるということで)非常に興味深いイベントだったのですが、当ブログが元祖至上主義なのはご存じでしょう。やはり、(心を鬼にして)ちゃんと「瓦そば事件」について勉強したかったので、東京や大阪の店ではなく、事件の当事者たる高瀬慎一氏の「川棚温泉 元祖 瓦そば たかせ」へ私は行くことにしたのです。
 

元祖・瓦そばがある「川棚温泉」は、山口県下関市の西部にある温泉地です。下関とはいっても、「川棚温泉」は、我々が最もイメージする下関、すなわち関門海峡付近の街からは遠く離れており、下関駅から山陰本線に乗ること約40分の「川棚温泉駅」が最寄りです。しかし、これもであり、駅前から温泉地まで更に2km離れているのです。だから今回、私にしては珍しく、川棚温泉までは、山口県に赴任している友人の車に乗って来ました。

デカデカ表された「川棚温泉」の入り口看板を通り過ぎると、さっそく見えるのが「元祖 瓦そば たかせ(本館)」です。

もちろん、元祖だけあって、それ目当てに行列ができていました。しかし、自分の前には10組ぐらい並んでいたはずが、10分ぐらいで店内へ通されました。これには吉野家も驚きの回転率です。この回転率の速さが、瓦そばを山口県名物たるものにしたのかもしれません。

回転率に反して、築約100年モノを改装したという店内は、旅館のように広く落ち着いた雰囲気です。実際、かつて「たかせ」では旅館も営業していたとのこと。早速注文したのが、もちろん「元祖・瓦そば」と、ついでに「たかせ」のもう一つの名物「うなめし」もです。


(写真奥:瓦そば、写真手前:うなめし)

「元祖・瓦そば」を食べてみると、錦糸卵のフワフワと、瓦で熱せられた抹茶そばのパリパリが混ざり合う、何とも不思議な食感を感じられます。途中、少し味に変化が欲しいと思ったら、レモン&もみじおろしをツユに入れると、元々サラダ油で脂っこかった瓦そばがさっぱりし始め、飽きを感じさせません。最後、瓦に熱せられた麺が、パリパリを通り越して針金となり、博多人もびっくりのバリ硬ですが、それをカラムーチョのようにパリポリ頬張るのも一興です。
 ちなみに、瓦そばの瓦は、その断面が緩いS字カーブを描いていることから、蕎麦や具を箸で掴む際、瓦から滑り落ちないよう工夫がいるため、食事中は終始ジェンガの如く緊張状態を強いられますが、食べ終わると達成感みたいなものがありました。

「元祖 瓦そば たかせ」には、私が訪れた「本館」の他、「南本館」「東本館」もあります。判決文によれば、瓦そばは「たかせ別館」で初めて提供されたとのことですが、これは現在の「東本館」に当たり、ただいま例のウィルスの影響で休館中です。つまり、真の意味では、私は「元祖・瓦そば」を食べていることにはならないのでした。無念。

「元祖 瓦そば たかせ」の近くには「三春堂」というお菓子屋さんがあり、そこでは「瓦シュー」なるスイーツが売っています。どうやら「元祖 瓦そば たかせ」と「三春堂」は親戚同士とのこと。「瓦シュー」が、「瓦そば」の知名度に便乗したのは間違いないですが、「瓦そば」の瓦のような形態と、瓦のようにパリっとしたシュークリームは、その名に恥じません。瓦そば食後のお口直しや、温泉饅頭の代替品にピッタリでしょう。


ところで、「瓦そば事件」のもう一人の当事者たる被告(無効審判請求人)の「江戸金」は、惜しくも20223月に閉店とのことですが、判決文にも重要証拠として登場した「川棚グランドホテルお多福」は、いまだ健在です。ホテル内レストランでは瓦そばが提供されていて、もちろん、「お持ち帰り用の瓦そば」も売っていました。

(写真:川棚グランドホテルお多福、ホテル内レストラン)

 
(写真左:「たかせ」、写真右「お多福」)

そういえば、せっかく「川棚温泉」に来たのだから、温泉に入ることを忘れてはいけません。ちょうど、「川棚グランドホテルお多福」の大浴場「山頭火」が評判良いとのことなので、入浴することとしました。


内風呂の湯加減はちょうど良い感じでしたが、露天風呂は少々熱かったです。しかし、さらに熱かったのが、露天風呂の石畳でした。「瓦そば」の瓦を意識したと思われる、その黒々とした石畳は、日光に照らされ高温となっており、うっかり踏んだら、足の裏が瓦そばになりました。
 川棚温泉では、「元祖・瓦そば」等の現物を見ることで「瓦そば事件」の勉強にもなりましたし、瓦そばを疑似体験することもできました。

(T.T.

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2022年7月6日水曜日

我が国唯一の商標法33条「中用権」の事例を食べてみた【野路菊事件】

 商標弁理士のT.T.です。 

 令和4年度の弁理士論文試験で商標法は、【問題Ⅰ】が更新登録制度について、【問題Ⅱ】が補償金請求権と商標権侵害への対応について出題されたようです。試しに解いてみた感想としては、【問題Ⅱ】でマドプロが部分的に絡む点で少し意地悪に感じましたが、それを除けば典型的内容という印象でした。

 その上で今回は、おそらく弁理士試験の論文では出願されないであろう商標法33条「中用権」(無効審判の請求登録前の使用による商標の使用をする権利)にスポットを当てようと思います。何故に出題されないかと言えば、条文のとおり、事案が特殊すぎて事例問題として扱いにくいと考えるためです。手持ちの基本書を見る限り、「中用権」が成立した事例は日本で一つしかなく、それが「野路菊事件」です(大阪高裁 昭和43年(ネ)1937号)。

 「野路菊事件」(大阪高裁 昭和43年(ネ)1937 1972/3/29)とは、登録536422号「野路菊」(指定商品「菓子その他本類に属する商品」)の商標権者(債権者)が、兵庫県高砂市で「野路菊」という菓子を製造販売していた「柴田最正堂」(債務者)に対し、その使用差止を命ずる仮処分を申請した事件です。
 ところで、債務者「柴田最正堂」の店主は、登録620261号「野路菊」(30類 菓子)について商標権を有していましたが、債権者から無効審判を請求され、上記の登録536422号「野路菊」を引例として商標法4111号違反であることから無効審決となっていたのです(昭39年-2047)。
 しかしながら、大阪高裁は、「柴田最正堂」が196310月以降「企業努力と共にラヂオ等で宣伝したり、新聞記事で紹介されたり又は受賞したことと相まって19644月当時「『野路菊』は兵庫県西部少なく共高砂地方においては製菓業者のみならず一般消費者間にも周知」であり、その売上が柴田最正堂の「売上高の七〇ないし八〇パーセントに達し更に売り上げを伸ばすべく努力中であった」ことから、「柴田最正堂」に対し「野路菊」の中用権(商33条)を認めました。

(債権者の登録536422

 さて、「野路菊事件」の舞台となった兵庫県高砂市は、「ブライダル都市」を標榜するだけあって、新しきものと古きものが、まるで夫婦のように交じり合う都市に感じられます。

 

 新しきものとは、工業都市として高砂であり、キッコーマン・三菱重工・サントリー等の大工場が軒を連ね、阪神工業地帯の一翼を担っているのです。そして古きものとは、江戸時代から海運都市として栄えていた高砂であり、工楽松右衛門旧宅を始めとして、昔ながらの味わいのある建物が軒を連ねているのです。 

(高砂出身の偉人・工楽松右衛門の旧宅

 そんな味わいある建物群のひとつに、債務者の「柴田最正堂」があります。そこで売られているのが、兵庫県の花・野路菊をモチーフとした銘菓「野路菊の里」です。はて、「柴田最正堂」が中用権を有しているのは「野路菊」のはずで、語尾に付いた「…の里」とはどういうことでしょうか?


 実は、「柴田最正堂」は「野路菊」について中用権を獲得したものの、その権利を行使せず、名称を「野路菊の里」へ変更してしまったのです。
 事件当時は子供だった現店主に、その理由を伺うと、この裁判に多大な時間を使ったことで、その対応に疲れてしまったため、名称変更によりトラブルをこれ以上避ける狙いがあったようです。そして、中用権を行使するには商標権者等に「相当の対価」を支払わなければならない旨規定されていますが(商332項)、それも嫌だったようです。
 したがって、商標権の効力を制限する規定として、商標法上は中用権(商33条)が認められているものの、その運用は現実的に難しいように見えました。 

もちろん、「野路菊の里」も商標登録されており(登録927496)、その代理人は商標法の大家・網野誠先生です。なんと、「柴田最正堂」の登録620261号「野路菊」に無効審決(昭39年-2047)を出した審判長も、網野誠先生だったのでした。

(登録927496号)
 時系列でいえば、登録620261号「野路菊」の無効審決(昭39年-2047)が1967916日に出て、1968年に網野先生は通産省(現:経済産業省)を退職し、1970428日に「野路菊の里」が網野先生の代理により出願され(商願昭45-42893)、1971823日に「野路菊の里」が商標登録(登録927496号)されたという流れです。

 確かに、商標法では「審判官が事件について(中略)代理人であるとき、又はあつたとき。」に、審判官が除斥される規定はありますが(商561項、特13915号準用)、その逆に当たるものはありません。しかし、いくら網野先生が偉大だからとはいえ、「柴田最正堂」からすれば仇敵みたいなもの。どのようなドラマがあったのか気になります。
 そこで、網野先生の名著「商標 第6版」(有斐閣 2002年)には、事件関係者として何か言及があるかと思いましたが、当時の思い出を特に語ることもなく、淡々と普通の解説をするに留まっていました(785頁参照)。 

ところで「野路菊の里」とは、その名のとおり、野路菊の花を模した白あん饅頭です。餡や生地に練乳が練り込まれることで、和菓子のようで洋菓子の風味を出す「野路菊の里」は、販売が開始された1963年当時では新進気鋭の味だったとか。


白あん饅頭といえば、似たような商品に「ひよ子饅頭」がありますが、現店主曰く「ひよ子饅頭」とは同じような機械を使って生産しているとのことです。そして、判決文にも「売上を伸ばすべく努力中」と書いてあるように、当時は、兵庫県のみならず全国展開し、ゆくゆくは現在の「ひよ子饅頭」的のポジションを狙っていたとか。しかしながら、「野路菊事件」により、裁判に労力が割かれ、営業活動どころではなかったことから、その野望は実現できなかったと、悔しさを滲み出していました。 

もしも「野路菊事件」がなかったら、「ひよ子立体登録商標」(登録4704439号)ではなくて、「野路菊立体登録商標」が誕生していたのかもしれません。そして、「ひよ子立体商標事件」(知財高裁 平成 17 (行ケ) 10673号)ではなく、「野路菊立体商標事件」が起こった世界線も存在したのかもしれません。

(登録4704439号:「ひよ子」立体登録商標)

T.T.



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2022年6月14日火曜日

日南にちなんだ旅【日南市章事件 4①6】

 

 商標弁理士のT.T.です。 

 特許事務所では、商標登録出願の際、より確実な登録を目指すため、事前に商標調査をおススメします。その調査は、商標の態様に応じて、文字調査図形調査の2種類が行われます。
 文字調査の場合は、各種データベース、書籍、ネット検索等を駆使することにより、登録可否に目途を付けることが可能ですが、図形調査の場合は少々やっかいであります。

それが、「国・地方公共団体等の標章であって著名なもの(商416号)」の存在です。J-PlatPat等、各種データベースでは、先行調査との類否を追うことができますが、「国・地方公共団体等の標章であって著名なもの」との類否までは追うことができません。そして、47都道府県はまだしも、全国約1700ある市町村の紋章の中で、どれが著名なのか、知る由もないでしょう。

そのため、超レアケースですが、図形調査で先行商標との類否は問題ナシとしたとしても、その商標が、商標法416号に該当するとの拒絶理由通知を不意打ちされることもあるようです。 
 そんな、商標法416号を象徴する事件の一つとして「日南市章事件」(知財高裁 平成24年(行ケ)10125号)があります。

日南市章事件」(知財高裁 平成24年(行ケ)10125)とは、商願2009-054010「図形+『DAIWA』が結合した商標」(第6類「建築用又は構築用の金属専用材料」等)の図形部分が、著名な宮崎県日南市の市章と類似であるから、商標法416に該当するとの拒絶審決(不服2011-10066)に対し、その妥当性を争った事件です。
 知財高裁は、日南市章が、日南市の公共施設やホームページ、新聞、書籍等に表示されたからといって、本願商標の指定商品の需要者等が一般に目にするものとは認められないとし、また、マンホールの蓋に刻印された日南市章についても、マンホールの蓋を扱う需要者等の数が明らかでなく、本願商標の指定商品の取引者等のうちどの程度を占めるか不明として、日南市章の著名性を否定しました。
 さらに、本願商標と日南市章の類否についても、本願商標の図形部分は、「日」という漢字の古代書体に由来するありふれた図形で、出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものでないことから、本願商標から図形部分を抽出し、日南市章と比較することは許されないとして、類似性も否定しました。
 したがって、商願2009-054010「図形+『DAIWA』が結合した商標」は、商標法416号に該当しないものとして、後に登録されました(登録5551739号)。

(左商願2009-054010、右:日南市章

  このように、「日南市章事件」では、著名性を否定された日南市章ですが、そんな宮崎県日南市とは、いったいどのような場所なのでしょう。それを探るべく、JR日南線の「日南駅」に降り立ってみることにしました。
 早速、駅名標から日南市章が出迎えてくれました。

 さて、裁判では、「マンホール」の蓋に刻印された日南市章が、著名性に関する一つの争点となりましたが、確かに、街中を歩いていると、日南市章が刻印されたマンホールの蓋が多数点在しています。

 それだけでなく、日南市には「ポケモンマンホール」もあり、「ヤシの木みたいなポケモン」と「イースター島のモアイ像」みたいなポケモンがデザインされています。事実、日南の道端にはヤシの木が植えられており、モアイ像をウリにした公園「サンメッセ日南」があるのです。


 しかしながら、それよりも日南市最大のウリは、「鵜戸神宮」ではないでしょうか。
 「鵜戸神宮」とは、日南市東部、日向灘の断崖絶壁に位置する神社で、国指定の名勝です。神武天皇の父親にあたる「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」を主祭神として、その本殿が洞窟の中にあるので、神秘的です。


 「鵜戸神宮」の名物と言えば、崖下に鎮座する岩、「亀石」でしょう。「運」と掘られた素焼の玉(5100円)を崖の上から放り投げ、「亀石」のしめ縄内側にヒットすれば、願い事が叶うとのことです。素焼の玉を、女性は右手で、男性はなぜか左手で投げなければならないようですが、残念ながら私は左利きです。しめ縄の内側に楽々ヒットできましたので、私の将来は約束されたに違いありません(?)。


 

また、「鵜戸神宮」は、安産や育児の神社として有名なようです。本殿の裏側には、その形状を女性の乳房に見立てた「お乳岩」というものがあり、そこから滴り落ちる水で作られた「おちちあめ」を舐めると御利益があるそうです。
 男の私が、「おちちあめ」を舐めても、特に意味はなさそうですが、「おちちあめ」から作った飲み物「おちちあめ湯」(一杯100円)を飲むことにしました。「おちちあめ湯」には生姜が入っており、旅のラストスパートで、体調を崩し気味だった私にとっては、大変御利益がありました。


 

 そしてもうひとつ、日南市で忘れてならないスポットは、九州の小京都「飫肥(おび)」の城下町でしょう。
 「飫肥」は、日南駅の一駅北隣「飫肥駅」を最寄とし、かつての飫肥城を中心とした飫肥藩51000石の城下町として
、今なお江戸時代の街並みが残ることから、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているのです。

 そんな飫肥藩を治めていたのが伊東氏です。伊東氏の支配は、足利尊氏の命で日向国へ下向したことに始まったようですが、元は伊豆国伊東の豪族、つまり、八重姫こと新垣結衣と同族です。私としては、出自が怪しい人気戦国大名よりも、地味ながら平安・鎌倉から続く武家の方が、かっこいいと思ってしまう主義であり、飫肥城跡からは、脈々と続いてきた伊東氏の歴史の重みを、ひしひしありがたく感じます。



 そんな日向の伊東一族から出た人物として有名なのは、安土桃山時代の天正遣欧少年使節として派遣された「伊東マンショ」でしょう。小学生の頃、「伊東マンショ」と読み間違え、小野妹子並みの珍名として、爆笑していました。

(写真:日南駅前の伊東マンショ像)

 もう一人、日南市にゆかりある歴史上の人物として、明治時代、ポーツマス条約締結や関税自主権回復を達成した外交官「小村寿太郎」がいます。「飫肥」の城下町では、小村寿太郎の生家が保存されており、小村寿太郎記念館もあります。また、城下町から少し離れた所には、小村寿太郎の墓まであり、彼の遺髪が埋葬されているようです。


「小村寿太郎」も「伊東マンショ」に負けず劣らず、間違えやすい名前であり、よく「小村寿太郎」と読み間違えたものです。商標弁理士となってしまった今では、損害不発生の抗弁の「小僧寿し事件」(最高裁 平成6()110号)の方を連想させてしまいますが。

 (T.T.




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