2023年10月23日月曜日

商標弁理士♂がバレナイ二重を付けても本当にバレないか?【バレナイ二重事件 商標権の効力の制限(26条)】


 商標弁理士の
T.T.です。
 T.T.は、まだ弁理士受験生だった頃、渋谷の予備校代を捻出するために、渋谷のドラッグストアで品出しバイトをしていたことがありました。 

品出しで特に大変と感じていたのが、T.T.とは縁もない、女性用化粧品の陳列でしょう。多岐にわたる用途がある女性用化粧品は、覚えるのが大変でしたが、知見を広げられた点では有意義だったと思います。 

そんな女性用化粧品の中で、特に印象的だったのが、ノーブル株式会社の「バレないふたえ」という商品です。その名の通り、バレないように二重を作るためのテープですが、そこまでして二重になりたいのかと、美に対する女性の執念に驚かされました。

(写真:ノーブル株式会社の「バレないふたえ」)
 

ところが、「バレないふたえ」は正式名称ではなく、本当の商品名は「Prudor(プリュドール)」という罠です。確かに、「バレないふたえ」の文字は、大きく明瞭な書体で目立つように表示されている一方で、その上方でPrudor(プリュドール)」の文字が、小さくやや不明瞭に表示されており、一見しても、「バレないふたえ」が商品名のように思えてしまいます。

しかし、商品棚のプライスカードにも「プリュドール」と記載されており、「バレないふたえ」の「バ」の字もないので、「バレないふたえ」が商品名でないことは明らかです。そのため、いくら探しても「バレないふたえ」のプライスカードが見つからずに、品出しで苦労させられた思い出があります。 

 このことから、「バレないふたえ」とは、「バレない」ように「ふたえ」を作るという商品の効能を簡潔に伝えるための説明文としての側面を持っており、それで問題になった事件が「バレナイ二重事件」になります。 

 「バレナイ二重事件」(令和3()33526)とは、被告の二重テープと二重ノリのパッケージに表示された「バレナイ二重」が、ノーブル株式会社(原告)の登録商標「バレないふたえ(登録5648844号・登録5607340号、指定商品「3類 二重瞼形成用化粧品等」)の商標権を侵害しているとして、販売等の差止め・損害賠・謝罪広告を求め、訴えを提起した事件です。 

(被告の二重テープと二重ノリ
 

 東京地裁は、①「二重瞼形成用化粧品等…の宣伝広告においては、化粧品…により一重瞼を二重瞼に整えたことが他人に容易に露顕しないという当該化粧品…の効能や役務の内容を説明又はそのような効能等をうたうキャッチフレーズと理解される表現として、『ばれない』等に、『二重』を組み合わせたものが多数みられる」、②「需要者に対して商品等の内容等を積極的・効果的に訴求するために、当該商品の包装の目立つ位置ないしデザイン等で当該商品の内容などを示すことは通常行われる」といった理由により、被告「バレナイ二重」の表示は、商品の効能等の説明ないしキャッチフレーズに該当し、自他商品識別又は出所表示機能として機能しないとしました。 

したがって、被告「バレナイ二重」の表示は、何人かの業務に係る商品であることを認識することができない態様で使用されていることから、商標権の効力が及ばない(商標法2616号)として、商標権侵害が認定されませんでした。

(原告・登録5648844
(原告・登録5607340

 さて、原告「バレないふたえ」とは、レーヨン不織布の片側接着テープで、テープをまぶたの上に貼り、まぶたに食い込ませることで、二重を作る仕組みです。レーヨン不織布の色が肌色と近いため、二重テープを付けたまま、その上に化粧をしてもナチュラルに仕上がることから「『バレない』ふたえ」なのでしょう。

(写真:原告「バレないふたえ」の中身)

 一方の被告「バレナイ二重」は、二重テープと二重ノリの2タイプがありますが、テープの方は、両面テープで、両面にまぶたを張り付けることで、二重を作る仕組みなのが、原告「バレないふたえ」とは異なります。また、こちらの本当の商品名は「Eye Catching Beauty(アイキャッチングビューティー)」のようです。

(写真:被告「バレナイ二重」の中身)
 

 しかし、被告「バレナイ二重」は、「バレナイ二重事件」では勝訴したものの、事前のリスク回避のためか、その使用を既に終了しており、あざかわ二重」という表示に変更していました。「あざかわ二重」の「あざかわ」とは、もちろん、「あざとい」と「可愛い」を合体した造語あざとかわいい」を意味するのでしょう。

(写真:変更前「バレナイ二重」→変更後「あざかわ二重」)

 ところで、T.T.は「あざとかわいい」ことで知られる有名人A氏と高校の部活が同じでした。高校時代を知る私からすれば、可愛いことは無論のこと、彼女のあざとさは、天性の才能であり、決してテレビのために仕組まれた演出ではありません。 

 つまり、何が言いたいかといえば、「あざかわ二重」こと被告の二重テープを装着することで、「可愛く」なることはできるかもしれませんが、後天的に「あざとく」なることはできないはずです。そうすると、被告「あざかわ二重」の表示は、比喩的であり、商品の効能等を直接的に説明しているとまでは言い難いことから、商品の識別標識として機能しているのでしょうか?また、第三者に「あざかわ二重」が商標登録されるリスクはないのでしょうか? 

 現実は、複数の化粧品会社から「3類 化粧品(04C01)」を指定商品として「あざと可愛い」(商願2021-35033)や「あざとカワイイ」(商願2021-43420)が出願されていましたが、いずれも「透明感のあるナチュラル系メイクに用いる商品の宣伝文句として使用されている実情」があることから、商標法316号に該当し、拒絶査定となっていました(ただし、両者とも意見書は提出されていない。)。

(商願2021-35033)
(商願2021-43420)

 そのため、「あざかわ二重」も、キャッチフレーズに該当するため、「3類 二重まぶた形成用テープ(04C01)」を指定商品としてプレーン書体で、第三者に登録される可能性は低いでしょうし、万が一、第三者に商標登録されたとしても、商標権の効力は及ばないとの主張(261項各号)も可能と考えられます。結論として、被告が「バレナイ二重」から「あざかわ二重」へ表示を変更したとしても、安心して使用できる可能性が高く、真っ当なリスク回避だったことが分かります。 


 さて今回、「バレナイ二重事件」のために、原告「バレないふたえ」と被告「バレナイ二重(あざかわ二重)」の両方を購入しましたが、ここで、右目に原告「バレないふたえ」を装着し、左目に被告「バレナイ二重」を装着し、商品の効能表示どおりに、T.T.が二重であることがバレないのか、という「一周間バレナイふたえ生活」企画していました。 

 ところが、T.T.は、まぶたの皮が厚いようで、二重テープごときでは二重が形成できず、企画はおじゃんとなりました。T.T.は面の皮が厚いと、たまに言われますが、リアルにまぶたの皮まで厚くなくていいのに・・・

(T.T.)

事務所説明会・見学会【令和5年度 弁理士試験 合格者・これから弁理士試験合格を目指す方向け】
https://careers.soei.com/tour/

開催日時・開催場所:

202312 6日(水)18:3021:00 京都オフィス

202312 8日(金)18:3021:00 東京オフィス・福岡オフィス

20231213日(水)18:3021:00 横浜オフィス


対象者:

「令和5年度 弁理士試験 合格者」及び「これから弁理士試験合格を目指す方」

※学生の方、会社勤務の方、特許事務所勤務の方等、現在の職業・実務経験の有無を問いません。

 
プログラム概要:

・事務所説明 「創英で弁理士として働くことの魅力」

・オフィス見学

・懇親会(※参加は任意です。申し込みフォームにて選択可能です。)


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2023年10月16日月曜日

喜多方ラーメン御三家から見える地域団体商標「喜多方ラーメン」の登録可能性 #チザラー

 

 商標弁理士の
T.T.です。
 ところで、202311月に、テレビゲームの人気シリーズ「桃太郎電鉄」の最新作が発売されるそう。「桃太郎電鉄」とは、ざっくり言えば、KONAMI鉄道会社版モノポリーで、全国の駅近物件を買い漁りながら、金儲けをするゲームです。購入できる駅近物件には、宇都宮駅の「ギョーザ屋」や、舞浜駅の「某テーマパーク」と、ご当地色が出ていますが、その中でコスパが良い駅の一つとして知られるのが、喜多方駅の「喜多方ラーメン屋」でしょう。

(写真:JR磐越西線・喜多方駅)

 喜多方ラーメンとは、その名の通り福島県喜多方市が発祥で、「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれる麺が使用されたラーメンを指します。小麦粉に加えた水分の割合が35%以上(多加水)の生地を、「熟成」させることでコシが増し、麺の断面が長方形になるよう平たく打たれることで(平打ち)、スープが絡みやすくなった縮れとモチモチ食感が特徴となっています。
(写真:喜多方ラーメン)

 また、喜多方ラーメンといえば、「札幌ラーメン」「博多ラーメン」と共に、日本三大ラーメンの一つとして数えられ、ラーメン界では大変知られているでしょう。商標界においても、地域団体商標の登録要件の一つ「需要者の間で広く認識されている(商標法7条の2第1項)」が争われた喜多方ラーメン事件」としても大変知られています。 

 「喜多方ラーメン事件」(平成21(行ケ)10433)とは、「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」が、地域団体商標・商願2006-29479喜多方ラーメン」(43類「福島県喜多方市におけるラーメンの提供」)を出願したところ、本願商標は、出願人又はその構成員の業務に係る役務を表示するものとして、福島県及びその隣接県の需要者の間で広く認識されていないことから、地域団体商標の登録要件を満たしていないとして拒絶審決となり、その審決取消訴訟で登録の可否が争われた事件です。

 知財高裁は、①喜多方市内のラーメン店の協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」への加入状況は、多く見積もって6割弱であり、未加入者には全国的に知られる「A食堂」等の有力店舗もあった事情、「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」の構成員でない者(「喜多方ラーメン蔵」や「喜多方ラーメン坂内」のチェーン店等)が、喜多方市外で相当期間「喜多方ラーメン」の表示を使用等していた事情を勘案した結果、審決同様に、商願2006-29479「喜多方ラーメン」の周知性が否定され(商標法7条の2第1項違反)、商標登録は認められませんでした。

地域団体商標・商願2006-29479

 喜多方ラーメンというと、自然発生的に登場したようにも思えますが、実は、列記とした元祖があり、藩欽星さん(故人)が生み出したと言われています。
 藩欽星さんは、中国浙江省生まれですが、1925年に来日し、1927年に鉱山で働く伯父を頼って、喜多方へやって来ました。そこで、見よう見まねで打った中華麵を屋台で売っていたことが、喜多方ラーメンの始まりとなりました。

  今でも、喜多方市には、藩欽星さんの子孫によって中華料理屋「源来軒」が営業されています。「源来軒」は「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」の構成員のようで、軒先には「老麺会」の垂れ幕が掲げられていました。

(写真:源来軒


 さて、喜多方市には「喜多方ラーメン御三家」というものがあり、先ほどの元祖「源来軒」に加え、市内の人気店舗「満古登食堂(まこと食堂)」と「坂内食堂」の3つとなります。

 「満古登食堂」は、醤油スープの人気店となります。ところが、「満古登食堂」は、「喜多方のれん会」という組合には加入していますが、「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」には加入していません。どうやら、判決文に登場する有力店舗「A食堂」とは、「満古登食堂」のことを指していたようです。

(写真:満古登食堂

※満古登食堂は、2023930日に閉店し、76年の歴史に幕を閉じた。

 そして、「坂内食堂」は、塩味スープの人気店となります。こちらの方は、「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」に加入しています。

(写真:坂内食堂)

 ところが、この「坂内食堂」から暖簾分けで登場したのが、判決文にも登場するチェーン店「喜多方ラーメン坂内」です。「喜多方ラーメン坂内」は、もちろん「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」に加入しておらず、関東を中心に全国60店舗以上も展開しており、「喜多方ラーメン」の普通名称化に貢献しています。

(写真:喜多方ラーメン坂内 内幸町ガード下店

 このように、元祖「源来軒」は特に異論がないとしても、「満古登食堂」の組合未加入と、「坂内食堂」の暖簾分けによる普通名称化は、「喜多方ラーメン」における「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」らの出所表示としての周知性を否定する一因になっています。「喜多方ラーメン御三家」であっても、地域団体商標登録要件としての足並みが揃っておらず、そりゃ、地域団体商標「喜多方ラーメン」は、登録が厳しいのも納得な感じがしました。 

 ちなみに、喜多方市は「蔵のまち喜多方」という側面もあり、むしろ、昔は喜多方ラーメンよりも知られていた程です。喜多方の蔵の街並みは、キャンディ・キャンディ事件の倉敷と比べても、食べ歩きの店とかは特にありませんが、かえって写真映えする景色が広がり、2時間程でサクッと循環できます。なお、喜多方ラーメン御三家の方は、全部巡るのに、並び時間も含め、のべ5時間かかりました。

(T.T.)

(写真:喜多方の蔵の街並み)


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2023年10月2日月曜日

JR「塩釜線」廃線跡で巡る「塩釜レール入事件」【民法92条 慣習】

 商標弁理士のT.T.です。
 いつも知財系の事件ばかり追っており、今回も東北地方の知財事件の地を巡っていたのですが、途中、日本酒「浦霞」で有名な宮城県塩釜市を通るということで、せっかくだから民法の超有名判例「塩釜レール入事件」の地を巡るべく、途中下車することにしました。 

 「塩釜レール入事件」(大正10()2号)とは、民法92条の「慣習」に関する判例です。

民法92
 法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。

 塩釜在住の「丹野六右衛門(原告)」氏が、新潟市の「合名会社横山本店(被告)」から肥料用大豆粕を購入する売買契約を結び、約款では430日に「塩釜レール入」で引渡すとしました。「塩釜レール入」とは、荷物が塩釜駅に到着した後に代金を請求できるという「商慣習」です。 

 しかし、引渡し期日になっても大豆粕が届かなかったため、「丹野六右衛門」氏は「合名会社横山本店」に対し、622日に催告をしたうえで、契約を解除し、債務不履行による損害賠償を請求しました。 

 「合名会社横山本店」は、「丹野六右衛門」氏が代金を支払っていないから、大豆粕を送付する義務は負わないという同時履行の抗弁権(民法533条)の主張をしました。
 しかし、大審院は、「塩釜レール入」が「商慣習」であると認定し、民法92条の適用により、同時履行の抗弁権は認められませんでした。 

 また、「合名会社横山本店」は、仮に「塩釜レール入」の慣習があったとしても、民法92条の「その慣習による意思」があったかは、「丹野六右衛門」氏が立証すべきであり、原判決は証拠に基づかず「その慣習による意思」を認定したため、立証責任の原則に反すると主張しました。
 しかし、大審院は、意思解釈の材料となる事実上の慣習が存在する場合、当事者がその慣習を知っていて、特に反対の意思を表示していないときは、その慣習による意思があると推定するのが相当であるとして、その主張を退けました。 

 以上のことから、「合名会社横山本店」の債務不履行による「丹野六右衛門」氏の損害賠償請求が認定されました。

 「塩釜レール入事件」の舞台となった「塩釜駅」は、確かに、JR東北本線に実在する駅名ですが、これは1959年に新設された駅であり、事件当時、大正時代の「塩釜駅」は別の場所にありました(以下、古い方を「()塩釜駅」という。)。「()塩釜駅」は、塩釜駅から北東へ約1.4km、現在のJR仙石線「本塩釜駅」辺りにあり、事件当時は、東北本線の支線「塩釜線」の終着駅でした。

(写真:現在の東北本線・塩釜駅)

(画像:東北本線・塩釜線・仙石線の路線図)

※仙石線は「塩釜レール入事件」後の1925年に開通。
※塩釜線は、仙石線と合流後、本塩釜駅辺りまで並走。

 塩釜線」は、元々、東北本線の一部として1887年に開通し、当初の「()塩釜駅」は東北本線の終着駅でした。1890年には、東北本線が北へ延伸されることにより、岩切駅から()塩釜駅までが、東北本線の支線となり、後に「塩釜線」と呼ばれるようになりましたが、その後、1997年に「塩釜線」は廃線となってしまいました。 

 そうすると、「塩釜レール入事件」当時の大豆粕輸送ルートは、新潟駅→(信越本線)→新津駅→(磐越西線)→郡山駅→(東北本線)→岩切駅→(塩釜線)→()塩釜駅、と推定されますが、このうち、廃線となった塩釜線をこの足で辿ることで、現代における「塩釜レール入」を再現してみることとしましょう。

 

 塩釜線は、岩切駅が始点でしたが、国府多賀城駅と塩釜駅との間までは東北本線と並走していました。国府多賀城駅から塩釜駅へ至るとき、東北本線は左へカーブしますが、これに対し塩釜線は右へ分岐します。
(写真:左2線が東北本線、右1線が塩釜線跡(国府多賀城駅近くの踏切))

(写真:下り方面(塩釜駅方面)、左側からカーブする東北本線)

 東北本線を右に分岐した先には、いかにも廃線跡な雰囲気を醸し出す、長細い空き地が広がっており、一部が歩道として開放されています。空き地道中にてレンガ橋勾配標を望みつつも、途中で住宅街を突っ切り、さらに進んで仙石線へと合流すると、塩釜線と仙石線の並走区間になり、一部が遊歩道として整備されています。このまま仙石線と並走し続けると、仙石線「本塩釜駅」こと塩釜線「()塩釜駅」に到着しました。

(写真:廃線跡を匂わせる長細い空き地)

(写真:塩釜線レンガ橋跡)

(写真:勾配標(写真左))

(写真:仙石線(右)と並走する塩釜線跡の遊歩道)

(写真:(旧)塩釜駅があった本塩釜駅

 「本塩釜駅」高架下は、駐車場となっており、その脇に塩釜線「()塩釜駅」のプラットフォーム遺構が残っています。そうすると、「塩釜レール入」とは、このプラットフォームに汽車に到着したら、代金が請求できる契約だったのでしょうか?

(写真:本塩釜駅高架下の(旧)塩釜駅プラットフォーム跡)

 いいえ、どうやらこれは旅客用ホームだったようで、貨物のやり取りがあった()塩釜駅の貨物ターミナルは、旅客用ホームから更に奥へ進んで右に曲がった「イオンタウン塩釜辺りにあったようです。確かに、妙に廊下が長いイオンで、廃線跡を匂わせます。

(写真:(旧)塩釜駅の貨物ターミナルがあったイオンタウン塩釜

 このように肥料用の大豆粕が運ばれる予定だった塩釜線「()塩釜駅」は、跡形ぐらいしか残っていませんでしたが、原告・丹野六右衛門氏の店舗は、国の登録有形文化財として未だ現存しています(築1914年~)。それが、本塩釜駅(()塩釜駅)から西へ約300m進んだ「丹六園」になります。

(写真:丹六園)

(なお、被告「合名会社横山本店」は、新潟市中央区上大川前通11番町辺りにあったらしいが、現地へ行ったところ、痕跡は現在なかった。) 

 「丹六園」は、1720年に丹野六右衛門(初代)が創業した海産物卸商に始まる老舗で、歴代当主が代々「丹野六右衛門」を名乗っています。「塩釜レール入事件」の丹野六右衛門氏は9代目だったようです(現在は12代目?)。 

 肥料の取り扱いについては、明治時代以降に開始したとのことで、実際、「丹六園」の旧屋号が「丹六肥料問屋」だったことから、「塩釜レール入事件」で9代目・丹野六右衛門氏が被告から購入しようとした肥料用の大豆粕は、他者へ卸売するためものだということが分かります。つまり、「塩釜レール入事件」の損害賠償請求とは、原告自身が肥料を使えなくて困ったから請求するのではなく、商流が滞ったことによる損害だということが良くわかります。 

 現在、「丹六園」では肥料は取り扱っていないものの、和菓子と陶器を販売しています。特に、「志ほが満」という落雁風の銘菓は、仙台藩にも献上された記録が残るほどです。

(写真:銘菓「志ほが満」)

 ちなみに、丹野六右衛門(10代目)の妻の兄は、民訴法で高名な東北大のS博士(故人)で、その息子も慶應大法学部の名誉教授とのことですが、丹野家親戚の集まりでも「塩釜レール入事件」が話題なったことは一度もなかったようで、店内で対応いただいた丹野家の方も「塩釜レール入事件」は全く知らなかったとのことです。

 

 さて、話を貨物ターミナル()塩釜駅こと「イオンタウン塩釜」に戻しまして、もし現代に「塩釜レール入」を再現するならば、単に「イオンタウン塩釜」に入店するということになるのでしょうが、それだけだと何か味気ないです。やはり、「イオンタウン塩釜」で大豆粕を購入してこそ、現代の「塩釜レール入」っぽいと思います。 

 ところが、大豆粕は、その名の通り、大豆から油を搾ったカスなので、一見食べられそうですが、現代の主な用途は家畜飼料なので、人間用小売業のイオンでは、そう簡単に大豆粕は購入できなさそうな感じです。
 そうすると、イオンで購入できる範囲で、現代の「塩釜レール入」を再現するならば、「イオンタウン塩釜」で「トップバリュ素焼き大豆」を購入、という結論になりました。

(T.T.)






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