また、喜多方ラーメンといえば、「札幌ラーメン」「博多ラーメン」と共に、日本三大ラーメンの一つとして数えられ、ラーメン界では大変知られているでしょう。商標界においても、地域団体商標の登録要件の一つ「需要者の間で広く認識されている(商標法7条の2第1項)」が争われた「喜多方ラーメン事件」としても大変知られています。
「喜多方ラーメン事件」(平成21年(行ケ)10433号)とは、「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」が、地域団体商標・商願2006-29479「喜多方ラーメン」(43類「福島県喜多方市におけるラーメンの提供」)を出願したところ、本願商標は、出願人又はその構成員の業務に係る役務を表示するものとして、福島県及びその隣接県の需要者の間で広く認識されていないことから、地域団体商標の登録要件を満たしていないとして拒絶審決となり、その審決取消訴訟で登録の可否が争われた事件です。
知財高裁は、①喜多方市内のラーメン店の「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」への加入状況は、多く見積もって6割弱であり、未加入者には全国的に知られる「A食堂」等の有力店舗もあった事情、②「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」の構成員でない者(「喜多方ラーメン蔵」や「喜多方ラーメン坂内」のチェーン店等)が、喜多方市外で相当期間「喜多方ラーメン」の表示を使用等していた事情を勘案した結果、審決同様に、商願2006-29479「喜多方ラーメン」の周知性が否定され(商標法7条の2第1項違反)、商標登録は認められませんでした。
喜多方ラーメンというと、自然発生的に登場したようにも思えますが、実は、列記とした元祖があり、藩欽星さん(故人)が生み出したと言われています。
藩欽星さんは、中国浙江省生まれですが、1925年に来日し、1927年に鉱山で働く伯父を頼って、喜多方へやって来ました。そこで、見よう見まねで打った中華麵を屋台で売っていたことが、喜多方ラーメンの始まりとなりました。
今でも、喜多方市には、藩欽星さんの子孫によって中華料理屋「源来軒」が営業されています。「源来軒」は「協同組合
蔵のまち喜多方老麺会」の構成員のようで、軒先には「老麺会」の垂れ幕が掲げられていました。
さて、喜多方市には「喜多方ラーメン御三家」というものがあり、先ほどの元祖「源来軒」に加え、市内の人気店舗「満古登食堂(まこと食堂)」と「坂内食堂」の3つとなります。
「満古登食堂」は、醤油スープの人気店となります。ところが、「満古登食堂」は、「喜多方のれん会」という組合には加入していますが、「協同組合
蔵のまち喜多方老麺会」には加入していません。どうやら、判決文に登場する有力店舗「A食堂」とは、「満古登食堂」のことを指していたようです。
そして、「坂内食堂」は、塩味スープの人気店となります。こちらの方は、「協同組合
蔵のまち喜多方老麺会」に加入しています。
ところが、この「坂内食堂」から暖簾分けで登場したのが、判決文にも登場するチェーン店「喜多方ラーメン坂内」です。「喜多方ラーメン坂内」は、もちろん「協同組合
蔵のまち喜多方老麺会」に加入しておらず、関東を中心に全国60店舗以上も展開しており、「喜多方ラーメン」の普通名称化に貢献しています。
このように、元祖「源来軒」は特に異論がないとしても、「満古登食堂」の組合未加入と、「坂内食堂」の暖簾分けによる普通名称化は、「喜多方ラーメン」における「協同組合 蔵のまち喜多方老麺会」らの出所表示としての周知性を否定する一因になっています。「喜多方ラーメン御三家」であっても、地域団体商標登録要件としての足並みが揃っておらず、そりゃ、地域団体商標「喜多方ラーメン」は、登録が厳しいのも納得な感じがしました。
ちなみに、喜多方市は「蔵のまち喜多方」という側面もあり、むしろ、昔は喜多方ラーメンよりも知られていた程です。喜多方の蔵の街並みは、キャンディ・キャンディ事件の倉敷と比べても、食べ歩きの店とかは特にありませんが、かえって写真映えする景色が広がり、2時間程でサクッと循環できます。なお、喜多方ラーメン御三家の方は、全部巡るのに、並び時間も含め、のべ5時間かかりました。

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