商標弁理士のT.T.です。
第1代特許庁長官が「高橋是清」氏であり、弁理士第1号が「岡村輝彦」博士なのは、以前に当ブログで取り上げたことですが(参照:2021/7/12「弁理士第1号は、スゴい人だった!?」)、そうすると今度は、日本で最初の商標登録(第1号)が気になるわけです。
そもそも我が国の商標制度は、1884年(明治17年)10月1日に、「明治17年商標条例(太政官布告第19号)」が施行されたことで始まります。施行日と同日に商標登録出願が始まり、1885年6月2日に日本で最初の商標登録(第1号)が登場しました(※現在は権利失効)。
さらにググってみると、「宗田文庫図版資料データベース」にて、より詳細なものを確認することができます。それによれば、商標登録1号は、「魚を捌いている途中に指を切り落してしまった男」を表した図形商標のようです。マナ板上に、人差し指が落ちており、とてもナマナマしいです。
また、商標登録1号は、「養命膏」と呼ばれる傷薬に使用されていたようです。指を切り落としても、くっ付いてしまうぐらい効果があると宣伝したかったのでしょうか?もちろん「養命酒」とは無関係でしょう。
さらに、同データベースによれば、「養命膏」は「京三條通堺町東入北側」で販売されていたことを確認することができます。
「京三條通堺町東入北側」とは、京都市中京区桝屋町あたりをいい、東西を貫く「三条通」と南北を貫く「堺町通」の交差点の北東部を意味します。
どうやら、1号商標権者・平井さんの子孫は、30年ほど前に別の場所へ引っ越してしまったようです。それならば、平井さんの子孫は、実は、引っ越し先で薬問屋かドラッグストアを続けているのではないか?と胸を膨らませていましたが、薬の販売自体も50年ほど前に畳んでしまい、全然関係ない職に就いてしまったとのことでした。
例え商標登録1号が権利失効したとしても、何らか違う形で、業務上の信用だけでも存続して欲しかっただけに、我が国の商標法制史的には残念でなりません。せめて、「京三條通堺町東入北側」に「史蹟 商標登録第壱号之址」の石碑でも建てて欲しい!(下画像参照)
※補足1:写真の「池田屋事件」跡は、現在、居酒屋チェーン「はなの舞」の「旅籠茶屋
池田屋」として営業しており、当時の業務上の信用の面影を残しています(登録5275239号)。
※補足2:「アロマとチョンマゲの『ムッシューくに』」という個人ブログには、「養命膏」の実物の写真が掲載されています。
(T.T.)
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