私は、弁理士D.Mさんのあと6月に入所し、はや3か月以上が経ちました。
まだまだ慣れないことも多くありますが、日々の業務のほか、毎週のように繰り出されてくる新人向けの研修課題にD.Mさんと一緒に立ち向かっている毎日です。
そんな中、少し遡る7月の終わりころ、K商標部門長に突然呼ばれて、「来月8月から、(心優しい?商標部門の先輩方の計らいで)MくんとWくんが商標の判例を先輩らの前で発表する勉強会をやろうと思ってるんだけど、どうだい、やるかい?」と声をかけられました。
新人たるもの(そう思っていなくても)「もちろん、やります!」と反射的に答えたところ、すぐに日程が組まれ、D.Mさんと毎回交代で判例を分担し発表することになりました。
今回は、D.Mさんが担当した1回目の内容に続き、2回目の内容をご紹介します。
私が担当したのは、「保土谷化学工業社標事件」(事件番号:昭和47年(行ツ)第33号)と呼ばれる最高裁判所の判例です。
この判例は、ひとことで言うと(普段から結論は冒頭にわかりやすくひとことでと口を酸っぱく言われます)、商標の類否判断にあたり考慮できる取引の実情とは何かについて判決中で示された事件です。
その取引の実情とは何かを見ていく前に、商標の類否判断として何と何との商標の類否が問題となったのかを見たいと思います。ちょっと長くなりますがお付き合いください。
この事件の主な時系列は次のとおりです。
昭和41年10月18日:商標登録出願(昭和41年商標登録願60685号)
昭和43年6月15日 :拒絶査定昭和45年8月5日 :拒絶審決(昭和43年審判6302号)
昭和47年1月25日 :請求棄却判決(昭和45年(行ケ)101号)
昭和49年4月25日 :上告棄却判決(昭和47年(行ツ)33号)
まず、保土谷化学工業㈱が、特許庁に対して、「自社の社標のマーク」を商標登録しようと出願しました。
簡単に経緯を説明するとこのようになります。
では次に、その似ていると判断された両社の社標のマークをみてみましょう。
保土谷化学工業の社標のマーク オリヱント化学工業の社標のマーク
昭和41年商標登録願第60685号 商標登録第595188号
指定商品:旧5類 指定商品:旧第5類
「 染料、顔料、塗料(電気絶縁塗料を除く) 「 染料、顔料、塗料(電気絶縁塗料を除く) 」
くつずみ、つや出し剤 」
いかがでしょう。似ている似ていないどちらにも取れるように思えてきます。。。
ただ、一見すると、2つの六角形の亀甲(きっこう)紋章様の図形を鎖状に重ね合わせた構成というのが基本的な特徴として認識できないでしょうか。そうすると、差異があったとしても、ともに同じ基本的な構成を有するその外観上の印象が人の記憶に残り、このマークはお互いに紛らわしいといえ、外観上類似すると判断されたと考えることができると思います。
訴訟でも問題となったこの2つの商標が類似するとの結論は特許庁の審査段階から変わりませんでしたが、最後に最高裁で、取引の実情とは何かについて、その判決中で示されることになったわけです。
※ちなみに、現在の両社の社標はこちらです(保土谷化学の方は少し変更されたようですね)。
(http://www.hodogaya.co.jp/ https://www.orientchemical.com/ から引用)
「商標の類否判断に当たり考慮することのできる取引の実情とは、その指定商品全般についての一般的、恒常的なそれを指すものであって、単に該商標が現在使用されている商品についてのみの特殊的、限定的なそれを指すものではないことは明らかであり、所論引用の判例も、これを前提とするものと解される。」(下線・赤字引用者)
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この内容の理解は「一般的、恒常的」の意味などが抽象的で難しいのですが、「取引の実情」については、なんでもかんでも取引の実情に取り込んでその範囲を無限定に拡大してはいけない(その意味では変動し得る事情などを一切考慮していけないわけでもない)ということを意図したものだと私は考えています。
商品以上に商取引は無数にあるといってよく、自らに都合の良い取引の実情を探し取捨選択し、それと関連づけて商標の類否を主張立証できてしまうことが予想されます。
そこで、そのような都合の良い主張立証が将来的に頻発されることやそれによる混乱の歯止めとして、氷山印事件最高裁判決に付け加える判示をしたと私は受け止めました。
その他で私が一番気になった点は、保土谷化学の言い分を支える証拠というのが、書証という書面によるものがあまりなく、証人K氏による証言に大きく頼っていた点です。
保土谷化学は、染料に関する取引の実情(専門業者間で取引され、染料は色合いなどを確かめて取引する特殊な商品であるからより注意するなど)を考慮すべきと争っていました。しかし、それを支える証拠を証人K氏の証言にほとんど頼っていたのは解せません。よほどの大家の方であったのか、他に書証がなくやむを得なかったのかはわかりませんが、もし機会があれば、事件の関係者に事情を伺ってみたいです。
なお、この最高裁判決は、最新の特許庁商標審査基準(平成29年3月改訂第13版)において、判決文に沿った形(取引の実情の例については別)で取り入れられています。
商標の類否は、出願商標及び引用商標がその外観、称呼又は観念等によって需要者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に観察し、出願商標を指定商品又は指定役務に使用した場合に引用商標と出所混同のおそれがあるか否かにより判断する。 なお、判断にあたっては指定商品又は指定役務における一般的・恒常的な取引の実情を考慮するが、当該商標が現在使用されている商品又は役務についてのみの特殊的・限定的な取引の実情は考慮しないものとする。 (下線・赤字引用者) |
(一般的・恒常的な取引の実情の例) 指定商品又は指定役務における取引慣行 (特殊的・限定的な取引の実情の例) ① 実際に使用されている商標の具体的態様、方法 ② 商標を実際に使用している具体的な商品、役務の相違 |
一方、裁判所においても、知財高裁の判決(平成20年(行ケ) 10285号)では、「商標の類否判断に当たり考慮すべき取引の実情は、当該商標が現に、当該指定商品に使用されている特殊的、限定的な実情に限定して理解されるべきではなく、当該指定商品についてのより一般的、恒常的な実情、例えば、取引方法、流通経路、需要者層、商標の使用状況等を総合した取引の実情を含めて理解されるべき」(下線・赤字引用者)と具体例が示されるなどされています。
特許庁と裁判所では絶妙に相違しているようで、男女のすれ違いみたいで面白いのですが、このように昭和49年に出されたこの最高裁判決は、今でも影響を与えているということができます。
突然呼び出されたことがきっかけでたまたま担当した判例でしたが、これからもどのように扱われていくのかに着目したいと思う今日この頃でした。
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