特許事務所では、商標登録出願の際、より確実な登録を目指すため、事前に商標調査をおススメします。その調査は、商標の態様に応じて、文字調査と図形調査の2種類が行われます。
文字調査の場合は、各種データベース、書籍、ネット検索等を駆使することにより、登録可否に目途を付けることが可能ですが、図形調査の場合は少々やっかいであります。
それが、「国・地方公共団体等の標章であって著名なもの(商4条1項6号)」の存在です。J-PlatPat等、各種データベースでは、先行調査との類否を追うことができますが、「国・地方公共団体等の標章であって著名なもの」との類否までは追うことができません。そして、47都道府県はまだしも、全国約1700ある市町村の紋章の中で、どれが著名なのか、知る由もないでしょう。
そのため、超レアケースですが、図形調査で先行商標との類否は問題ナシとしたとしても、その商標が、商標法4条1項6号に該当するとの拒絶理由通知を不意打ちされることもあるようです。
そんな、商標法4条1項6号を象徴する事件の一つとして「日南市章事件」(知財高裁 平成24年(行ケ)10125号)があります。
「日南市章事件」(知財高裁 平成24年(行ケ)10125号)とは、商願2009-054010「図形+『DAIWA』が結合した商標」(第6類「建築用又は構築用の金属専用材料」等)の図形部分が、著名な宮崎県日南市の市章と類似であるから、商標法4条1項6号に該当するとの拒絶審決(不服2011-10066)に対し、その妥当性を争った事件です。
知財高裁は、日南市章が、日南市の公共施設やホームページ、新聞、書籍等に表示されたからといって、本願商標の指定商品の需要者等が一般に目にするものとは認められないとし、また、マンホールの蓋に刻印された日南市章についても、マンホールの蓋を扱う需要者等の数が明らかでなく、本願商標の指定商品の取引者等のうちどの程度を占めるか不明として、日南市章の著名性を否定しました。
さらに、本願商標と日南市章の類否についても、本願商標の図形部分は、「日」という漢字の古代書体に由来するありふれた図形で、出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものでないことから、本願商標から図形部分を抽出し、日南市章と比較することは許されないとして、類似性も否定しました。
したがって、商願2009-054010「図形+『DAIWA』が結合した商標」は、商標法4条1項6号に該当しないものとして、後に登録されました(登録5551739号)。
このように、「日南市章事件」では、著名性を否定された日南市章ですが、そんな宮崎県日南市とは、いったいどのような場所なのでしょう。それを探るべく、JR日南線の「日南駅」に降り立ってみることにしました。
早速、駅名標から日南市章が出迎えてくれました。
さて、裁判では、「マンホール」の蓋に刻印された日南市章が、著名性に関する一つの争点となりましたが、確かに、街中を歩いていると、日南市章が刻印されたマンホールの蓋が多数点在しています。
それだけでなく、日南市には「ポケモンマンホール」もあり、「ヤシの木みたいなポケモン」と「イースター島のモアイ像」みたいなポケモンがデザインされています。事実、日南の道端にはヤシの木が植えられており、モアイ像をウリにした公園「サンメッセ日南」があるのです。
しかしながら、それよりも日南市最大のウリは、「鵜戸神宮」ではないでしょうか。
「鵜戸神宮」とは、日南市東部、日向灘の断崖絶壁に位置する神社で、国指定の名勝です。神武天皇の父親にあたる「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」を主祭神として、その本殿が洞窟の中にあるので、神秘的です。
「鵜戸神宮」の名物と言えば、崖下に鎮座する岩、「亀石」でしょう。「運」と掘られた素焼の玉(5個100円)を崖の上から放り投げ、「亀石」のしめ縄内側にヒットすれば、願い事が叶うとのことです。素焼の玉を、女性は右手で、男性はなぜか左手で投げなければならないようですが、残念ながら私は左利きです。しめ縄の内側に楽々ヒットできましたので、私の将来は約束されたに違いありません(?)。
また、「鵜戸神宮」は、安産や育児の神社として有名なようです。本殿の裏側には、その形状を女性の乳房に見立てた「お乳岩」というものがあり、そこから滴り落ちる水で作られた「おちちあめ」を舐めると御利益があるそうです。
男の私が、「おちちあめ」を舐めても、特に意味はなさそうですが、「おちちあめ」から作った飲み物「おちちあめ湯」(一杯100円)を飲むことにしました。「おちちあめ湯」には生姜が入っており、旅のラストスパートで、体調を崩し気味だった私にとっては、大変御利益がありました。
そしてもうひとつ、日南市で忘れてならないスポットは、九州の小京都「飫肥(おび)」の城下町でしょう。
「飫肥」は、日南駅の一駅北隣「飫肥駅」を最寄とし、かつての飫肥城を中心とした飫肥藩5万1000石の城下町として、今なお江戸時代の街並みが残ることから、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているのです。
そんな飫肥藩を治めていたのが伊東氏です。伊東氏の支配は、足利尊氏の命で日向国へ下向したことに始まったようですが、元は伊豆国伊東の豪族、つまり、八重姫こと新垣結衣と同族です。私としては、出自が怪しい人気戦国大名よりも、地味ながら平安・鎌倉から続く武家の方が、かっこいいと思ってしまう主義であり、飫肥城跡からは、脈々と続いてきた伊東氏の歴史の重みを、ひしひしありがたく感じます。
そんな日向の伊東一族から出た人物として有名なのは、安土桃山時代の天正遣欧少年使節として派遣された「伊東マンショ」でしょう。小学生の頃、「伊東マンション」と読み間違え、小野妹子並みの珍名として、爆笑していました。
もう一人、日南市にゆかりある歴史上の人物として、明治時代、ポーツマス条約締結や関税自主権回復を達成した外交官「小村寿太郎」がいます。「飫肥」の城下町では、小村寿太郎の生家が保存されており、小村寿太郎記念館もあります。また、城下町から少し離れた所には、小村寿太郎の墓まであり、彼の遺髪が埋葬されているようです。
「小村寿太郎」も「伊東マンショ」に負けず劣らず、間違えやすい名前であり、よく「小村寿司太郎」と読み間違えたものです。商標弁理士となってしまった今では、損害不発生の抗弁の「小僧寿し事件」(最高裁
平成6年(オ)110号)の方を連想させてしまいますが。
(T.T.)
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