登録番号第22077号は、キリが良い数字なので、結構気に入っている弁理士のT.T.です。
さて、初代特許庁長官が、「高橋是清」なのは周知の事実ですが、最初の弁理士第1号は、全く知られていません。
日本弁理士会では、1899(明治32)年7月1日に「特許代理業者登録規則」が施行されたことにより、弁理士制度が始まったとしています(なお、7月1日は「弁理士の日」)。
しかしながら、日本弁理士会や特許庁のWebサイトを見ても、最初の弁理士が誰なのか、具体的な記述は見当たりません。いったい誰なのでしょう???
そこで調べてみると、1899年7月3日の官報(第4800号)の12ページ目左下に、「特許代理業者」に初めて登録した5名を見つけることができました。
特許代理業者名簿登録 農商務者特許局ニ於テ一昨一日左記ノ者ヲ特許代理現業者名簿ニ登録セリ(農商務省)
事務所 氏名
東京市京橋區南鍋町二丁目五番地 法學博士 辯護士 岡村 輝彦
右同所 岡村事務所 原田 敬吾
(中略) 抜山庄次郎
(中略) 辯護士 太田 資時
(中略) 淺村 三郎
※引用元:国立国会図書館Webサイト(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948090)
「一昨一日」とは、「おとといの(1899年7月)1日を」を意味し、「特許代理業者登録規則」の施行日1899年7月1日とピッタリ重なるので、これより古く登録した者は存在し得ません。
また、官報5番目に記載されている淺村三郎先生が創業した大阪特許代言社(現:浅村特許事務所)のWebサイトにも、
1899年(明治32年)
大阪特許代言社は、特許代理業者として登録を行いました(第5号)
※引用元:浅村特許事務所Webサイト(https://www.asamura.jp/history_rev/)
と記されており、「(第5号)」の記述は、官報の内容とも一致しています。
したがって、弁理士第1号は、官報に最初に記載された岡村輝彦博士であることは間違いないようです。
では、岡村輝彦博士とは、誰なのでしょうか?Wikipediaにも載っている有名な人でした(下記URL参照)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E8%BC%9D%E5%BD%A6
経歴を見ると、判事や東京弁護士会会長を歴任しただけでなく、中央大学の設立発起人として名を連ね、中央大学学長(3代目)も務めていたスゴい人のようです。ところで弁理士には、中央大閥がある程、中大卒の方々が沢山いらっしゃるとは思いますが、中大卒弁理士の皆さんは、弁理士第1号が中央大学学長って知っていました?
岡村輝彦博士が弁理士第1号ということは、その事務所「東京市京橋區(区)南鍋町二丁目五番地」が、弁理士制度上は、特許事務所の発祥の地ということになります。これは旧地名であり、現在の東京都中央区銀座6-8-3に当たるようです。
現在では、特許事務所の面影は全くなく、郵便局、叙々苑、ジュエリーショップ等が入居する立派な雑居ビルとなっておりました(銀座駅B3出口が最寄)。
そして、弁理士第1号である岡村輝彦博士のお墓は、東京駒込の「諏訪山 吉祥寺」にあります(本駒込駅から北へ約4分)。
住みたい街で有名な武蔵野市「吉祥寺」の由来でもありますし、駒澤大学の前身でもあり、二宮尊徳や榎本武明などのお墓もある由緒ある寺院です。
そのため、寺院は結構広く、お墓をお参りするにも一苦労。私は、寺院の職員さんに案内してもらい辿り着きました。
お酒が大好きなのか、缶ビールが沢山お供えしてありました。
大学受験界隈でも、合格祈願に創設者のお墓にお参りをするという話はよくありますが、弁理士受験生の皆様も、日本最初の弁理士に、弁理士試験合格を祈願していかがでしょうか?
(T.T.)
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