著作権法の有名事件に「
廃墟写真事件」(
東京地裁 平成19年(ワ)451号等)というのがありまして、被告が撮影した次の廃墟写真1~5を「廃墟遊戯」「廃墟漂流」といった被告写真集に掲載したところ、同じ被写体・構図で撮影された原告廃墟写真の著作権(翻案権等)を侵害しているとして、訴えられた事件です。
1.旧丸山変電所の建物内部
2.足尾銅山付近の通洞発電所跡(建物外観)
3.大仁金山付近の建物外観
4.奥多摩ロープウェイの機械室内部
5.奥羽本線旧線跡の橋梁跡
※原告・被告写真の実物は、「「廃墟写真事件」は何が問題だったのか? 創作活動における著作権の判断ポイント - BUSINESS LAWYERS」をご参照ください(https://www.businesslawyers.jp/articles/46)。
東京地裁は、廃墟を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではないとし、また、原告写真1~5における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできないといった理由から、著作権(翻案権等)の侵害を認定しませんでした(控訴・上告も棄却)。
さて、「廃墟写真事件」の判決に従うならば、私だって、単に、原告と同じ構図で同じ廃墟を撮ったとしても、著作権侵害にはならないはずです!そこで、事件発生後10年以上経過してしまいましたが、争われた1~5の廃墟たちが現在どうなったのか、原告・被告と同じ構図で撮ってみることにしました。
■廃墟写真1.旧丸山変電所の建物内部(群馬県安中市)
「旧丸山変電所」は、JR信越本線・横川駅から、信越本線廃線跡を舗装した「アプトの道」を登り続けること約30分で到着します。
(写真:信越本線・横川駅)(写真:アプトの道) (写真:旧丸山変電所) 高崎駅~長野駅~新潟駅を結んだ信越本線では、特に、横川駅~軽井沢駅の碓井峠越えが、急勾配すぎて普通の列車では登れない難所となっています。碓井峠の急勾配を攻略するため、歯形のレールに電気機関車の歯車を噛み合わせて登る「アプト式鉄道」という方式が利用され、その電気機関車に電気を供給するために建てられたのが「丸山変電所」です。
しかし、1963年に別ルートを通る新線が開通したことで、アプト式鉄道の旧線は廃止されてしまったため、「丸山変電所」は役割を終えて、そのまま廃墟となりました。
(写真:アプト式鉄道の歯車レール)(アプト式鉄道の電気機関車) 丸山変電所は2棟から構成され、坂下側の蓄電池室と坂上側の機械室からなり、「廃墟写真事件」で争われたのは、機械室の内部を写したもののようです。
原告・被告の写真に写された機械室は、屋根が崩れ落ち、痛々しい姿を晒していましたが、現在の外観からは全く感じさせません。それもそのはず、「旧丸山変電所」は、1994年に国の重要文化財に指定されたため、修復されてしまったのです。
(写真:旧丸山変電所の機械室) 国の重要文化財のため、もちろん、建物内部に侵入できないことから、原告・被告と同じ構図を完全再現はできません。ただし、窓の外から、建物内部の写真を撮ることはでき、左の窓から撮ると原告っぽい構図で撮れて、右の窓から撮ると被告っぽい構図で撮れました。
(写真:原告っぽい構図)(写真:被告っぽい構図) ■廃墟写真2.足尾銅山付近の通洞発電所(栃木県日光市足尾町)
わたらせ渓谷鉄道・通洞駅から徒歩5分、「足尾銅山鉱毒事件」で馴染み深い「足尾銅山」ですが、1973年に閉山後、現在は「足尾銅山観光」として、トロッコ列車に乗って坑道内を見学することができます。
(写真:わたらせ渓谷鉄道・通洞駅)(写真:足尾銅山観光) (写真:足尾銅山観光の坑道内)
「足尾銅山観光」敷地の南西隣にあったのが「通洞発電所(正式名:新梨子油力発電所)」であり、足尾銅山の非常用電力供給設備として、1915年~1954年まで機能していたようです。ところが、崩落が激しいということで、つい最近、2022年4月に「通洞発電所」は解体されてしまいました。実に惜しい。
(写真:通洞発電所)(写真:通洞発電所があった場所) (写真:原告・被告と同じような構図)
ちなみに、「通洞発電所」に似た建物に「通洞変電所」というのが近くにありまして、こちらは現役バリバリで、不気味な電子音を響かせていました。
(写真:通洞変電所) ■廃墟写真3.大仁金山建物付近の建物外観(静岡県伊豆市)
「大仁金山」は、江戸幕府により開発され、江戸時代中頃からの休止期間を経て、1933年に帝国産金興行(株)より再開されましたが、1973年に閉山されました。伊豆箱根鉄道駿豆線・大仁駅から徒歩15分の所にある「大仁金山」跡は、すぐ見つけられますが、「廃墟写真事件」で争われた、今にも朽ち果てそうな木造建築は、どこを探しても見当たりません。本当に朽ち果ててしまったのでしょうか?
(写真:伊豆箱根鉄道駿豆線・大仁駅)(写真:大仁金山) T.T.の見立てでは、大仁金山跡正面から左手の坂道を登って辿り着く、2棟のプレハブ倉庫が建つ平坦な場所が怪しいと、睨んでいます。2棟のうち、奥のプレハブ倉庫辺りが、「廃墟写真事件」で争われた木造建築のあった場所と思われます。確かに、木造建築が建っていたと思われる場所に、その土台に使用されたと思わしき石が積まれています(被告写真集「廃墟遊戯」25頁でも同じ土台石っぽいものが確認できる。)。
(写真:坂道とプレハブ倉庫)(写真:原告・被告と同じような構図と思わしき場所) (写真:土台石と思わしきもの)
■廃墟写真4.奥多摩ロープウェイの機械室内部(東京都奥多摩町)
「奥多摩ロープウェイ」は、JR青梅線・奥多摩駅からバスで30~40分の西奥地にあり、奥多摩湖対岸の「川野駅」と「三頭山口駅」を横断するロープウェイとして、1962~1966年の4年間のみ営業され、現在まで放置されています。
(写真:JR青梅線・奥多摩駅)(写真:奥多摩ロープウェイの支柱)
「廃墟写真事件」で争われた機械室は、「川野駅」のもののようですが、現在では完全立入禁止となってしまい、撮影不可でした。
(写真:「川野駅」の最寄バス停・中奥多摩湖(川野))
対岸の「三頭山口駅」は、一応、近づけるようですが、下手な登山道よりも整備されていないため、来る際は自己責任です。「三頭山口駅」にも、確かに、「廃墟写真事件」で争われた「川野駅」と同じような機械室がありました。
(写真:奥多摩ロープウェイ・三頭山口駅)(写真:三頭山口駅の機械室)
■廃墟写真5.奥羽本線旧線跡の橋梁跡(秋田県大館市)
福島駅~山形駅~秋田駅~青森駅を縦貫する奥羽本線ですが、陣馬駅(秋田県)~津軽湯の沢駅(青森県)の県境越え区間に、旧線跡があります。現在では、山の中を矢立トンネル(3180m)が県境を真っ直ぐ突っ切りますが、1970年まで存在した旧線では、急勾配の矢立峠を登って県境を超えており、その橋梁やトンネルの跡を今でも見ることができます。
(写真:奥羽本線旧線・旧第二下内川橋梁跡)
「廃墟写真事件」で争われたアーチ状のレンガ造り橋梁跡は、「旧第一下内川橋梁跡」と呼ばれるもので、JR奥羽本線・陣馬駅から、国道7号線に沿って北上すること約30分で到着します。
(写真:奥羽本線・陣馬駅) ただし、「旧第一下内川橋梁跡」は、2006年頃、その上に国道7号線の新道(新下内橋)が造られたことで破却され、跡形も無くなってしまいました。原告・被告の写真っぽい構図で撮るためには、新道(新下内橋)から右に逸れた旧国道7号線の橋(下内橋)を渡り終え、すぐ左手の未舗装脇道から撮影できました。
(写真左:国道7号線新道(新下内橋)、写真右:旧国道7号線(下内橋))
(写真:原告と同じような構図) (写真:被告と同じような構図)
以上のように、「廃墟写真事件」で争われた1~5の廃墟写真スポットを訪れましたが、廃墟の消滅(2.足尾銅山の発電所、3.大仁金山の建物、5.奥羽本線旧線の橋梁)や立入禁止(4.奥多摩ロープウェイ・機械室)により、撮影できたのは「1.旧丸山変電所」だけでした。その旧丸山変電所も、国の重要文化財として修復されてしまいましたから、原告・被告の写真をそのまんま再現することは不可能でした。
つまり、「廃墟写真事件」の原告・被告の写真と同じ被写体・構図で撮れるスポットは、実質ゼロです。
ところで、著作権法の原則として「額の汗は保護しない。」というのがあります。「廃墟写真事件」のように、廃墟に行って写真を撮るだけの行為は、私自身も、公共交通の乗り遅れや怪我に注意したぐらいで、特段脳みそは使わなかったので、典型的「額の汗」として、身をもって著作物性がないことを体感することができました。
そもそも、廃墟写真スポット1~5は、高地や雪山で寒かったり、心霊スポットや未整備の道で肝を冷やしたので、額に汗はかけませんが。
(T.T.)
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