2022年7月6日水曜日

我が国唯一の商標法33条「中用権」の事例を食べてみた【野路菊事件】

 商標弁理士のT.T.です。 

 令和4年度の弁理士論文試験で商標法は、【問題Ⅰ】が更新登録制度について、【問題Ⅱ】が補償金請求権と商標権侵害への対応について出題されたようです。試しに解いてみた感想としては、【問題Ⅱ】でマドプロが部分的に絡む点で少し意地悪に感じましたが、それを除けば典型的内容という印象でした。

 その上で今回は、おそらく弁理士試験の論文では出願されないであろう商標法33条「中用権」(無効審判の請求登録前の使用による商標の使用をする権利)にスポットを当てようと思います。何故に出題されないかと言えば、条文のとおり、事案が特殊すぎて事例問題として扱いにくいと考えるためです。手持ちの基本書を見る限り、「中用権」が成立した事例は日本で一つしかなく、それが「野路菊事件」です(大阪高裁 昭和43年(ネ)1937号)。

 「野路菊事件」(大阪高裁 昭和43年(ネ)1937 1972/3/29)とは、登録536422号「野路菊」(指定商品「菓子その他本類に属する商品」)の商標権者(債権者)が、兵庫県高砂市で「野路菊」という菓子を製造販売していた「柴田最正堂」(債務者)に対し、その使用差止を命ずる仮処分を申請した事件です。
 ところで、債務者「柴田最正堂」の店主は、登録620261号「野路菊」(30類 菓子)について商標権を有していましたが、債権者から無効審判を請求され、上記の登録536422号「野路菊」を引例として商標法4111号違反であることから無効審決となっていたのです(昭39年-2047)。
 しかしながら、大阪高裁は、「柴田最正堂」が196310月以降「企業努力と共にラヂオ等で宣伝したり、新聞記事で紹介されたり又は受賞したことと相まって19644月当時「『野路菊』は兵庫県西部少なく共高砂地方においては製菓業者のみならず一般消費者間にも周知」であり、その売上が柴田最正堂の「売上高の七〇ないし八〇パーセントに達し更に売り上げを伸ばすべく努力中であった」ことから、「柴田最正堂」に対し「野路菊」の中用権(商33条)を認めました。

(債権者の登録536422

 さて、「野路菊事件」の舞台となった兵庫県高砂市は、「ブライダル都市」を標榜するだけあって、新しきものと古きものが、まるで夫婦のように交じり合う都市に感じられます。

 

 新しきものとは、工業都市として高砂であり、キッコーマン・三菱重工・サントリー等の大工場が軒を連ね、阪神工業地帯の一翼を担っているのです。そして古きものとは、江戸時代から海運都市として栄えていた高砂であり、工楽松右衛門旧宅を始めとして、昔ながらの味わいのある建物が軒を連ねているのです。 

(高砂出身の偉人・工楽松右衛門の旧宅

 そんな味わいある建物群のひとつに、債務者の「柴田最正堂」があります。そこで売られているのが、兵庫県の花・野路菊をモチーフとした銘菓「野路菊の里」です。はて、「柴田最正堂」が中用権を有しているのは「野路菊」のはずで、語尾に付いた「…の里」とはどういうことでしょうか?


 実は、「柴田最正堂」は「野路菊」について中用権を獲得したものの、その権利を行使せず、名称を「野路菊の里」へ変更してしまったのです。
 事件当時は子供だった現店主に、その理由を伺うと、この裁判に多大な時間を使ったことで、その対応に疲れてしまったため、名称変更によりトラブルをこれ以上避ける狙いがあったようです。そして、中用権を行使するには商標権者等に「相当の対価」を支払わなければならない旨規定されていますが(商332項)、それも嫌だったようです。
 したがって、商標権の効力を制限する規定として、商標法上は中用権(商33条)が認められているものの、その運用は現実的に難しいように見えました。 

もちろん、「野路菊の里」も商標登録されており(登録927496)、その代理人は商標法の大家・網野誠先生です。なんと、「柴田最正堂」の登録620261号「野路菊」に無効審決(昭39年-2047)を出した審判長も、網野誠先生だったのでした。

(登録927496号)
 時系列でいえば、登録620261号「野路菊」の無効審決(昭39年-2047)が1967916日に出て、1968年に網野先生は通産省(現:経済産業省)を退職し、1970428日に「野路菊の里」が網野先生の代理により出願され(商願昭45-42893)、1971823日に「野路菊の里」が商標登録(登録927496号)されたという流れです。

 確かに、商標法では「審判官が事件について(中略)代理人であるとき、又はあつたとき。」に、審判官が除斥される規定はありますが(商561項、特13915号準用)、その逆に当たるものはありません。しかし、いくら網野先生が偉大だからとはいえ、「柴田最正堂」からすれば仇敵みたいなもの。どのようなドラマがあったのか気になります。
 そこで、網野先生の名著「商標 第6版」(有斐閣 2002年)には、事件関係者として何か言及があるかと思いましたが、当時の思い出を特に語ることもなく、淡々と普通の解説をするに留まっていました(785頁参照)。 

ところで「野路菊の里」とは、その名のとおり、野路菊の花を模した白あん饅頭です。餡や生地に練乳が練り込まれることで、和菓子のようで洋菓子の風味を出す「野路菊の里」は、販売が開始された1963年当時では新進気鋭の味だったとか。


白あん饅頭といえば、似たような商品に「ひよ子饅頭」がありますが、現店主曰く「ひよ子饅頭」とは同じような機械を使って生産しているとのことです。そして、判決文にも「売上を伸ばすべく努力中」と書いてあるように、当時は、兵庫県のみならず全国展開し、ゆくゆくは現在の「ひよ子饅頭」的のポジションを狙っていたとか。しかしながら、「野路菊事件」により、裁判に労力が割かれ、営業活動どころではなかったことから、その野望は実現できなかったと、悔しさを滲み出していました。 

もしも「野路菊事件」がなかったら、「ひよ子立体登録商標」(登録4704439号)ではなくて、「野路菊立体登録商標」が誕生していたのかもしれません。そして、「ひよ子立体商標事件」(知財高裁 平成 17 (行ケ) 10673号)ではなく、「野路菊立体商標事件」が起こった世界線も存在したのかもしれません。

(登録4704439号:「ひよ子」立体登録商標)

T.T.



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