商標弁理士のT.T.です。
慣用商標(商標法3条1項2号)とは、元々は識別力があったものの、同種類の商品等について同業者間で普通に使われるようになった結果、識別力を失い、登録が認められなくなった商標をいい、その例として、「商品『清酒』について、商標『正宗』」が挙げられています。確かに、日本全国には「〇〇正宗」の日本酒が点在しており、清酒に「正宗」には識別力が無いことは窺い知ることができます。
しかしながら、清酒に「正宗」が慣用商標ということは、「正宗」が、自然発生的に誕生した語はなく、元々は識別力ある造語だったことを示しており、歴史上、神戸市東灘区の「櫻正宗」が使い始めたといいます。
時は流れ1884年(明治17年)10月1日、「商標条例」が施行された際、七代目・山邑太左衛門が、指定商品「清酒」について商標「正宗」を出願したところ、既に「正宗」は日本酒の代名詞として多くの酒造会社に使用されていたことから、「正宗」は普通名詞であるとして登録が認められませんでした。そのため、「正宗」に「櫻」を加えた「櫻正宗」と改称した上で商標登録し(登録981号)、今日の「櫻正宗」に至るわけです。
ちなみに、櫻正宗が運営する「櫻正宗記念館『櫻宴』」館内では、「商標条例」が施行される前年・1883年に使われていた「正宗」の瓶が展示されており、「櫻」の字がない元祖「正宗」そのものを拝むことができます。
さて、慣用商標「正宗」は、「櫻正宗」が使い始め、「臨済正宗」が由来なのは分かりましたが、そもそも「臨済正宗」とはどんな意味でしょうか?
「臨済」の文字から見るに、鎌倉仏教の一派である禅宗「臨済宗」を思い浮かべます。そもそも「臨済宗」とは、唐王朝の頃の中国が発祥であり、その名の通り、禅僧「臨済義玄」が「臨済寺」で開いたから「臨済宗」なのです。日本では、中国(南宋)へ留学した栄西により伝えられました。即ち、「臨済」とは人名・寺名・臨済宗を指す言葉であり、それ以外の意味合いは特段なさそうです。
ところが、「臨済正宗」の経典が置いてあった「瑞光寺」は日蓮宗です。宗派が違うとは、どういうことでしょう?そのカギは、「瑞光寺」から南へ7km下った宇治市で、「臨済正宗」を名乗った「黄檗宗大本山萬福寺」にあると思われます。
「黄檗宗(おうばくしゅう)」とは、臨済宗の一派であり、江戸時代初期に来日した、中国の臨済僧「隠元隆琦」によって1661年(寛文元年)に開かれました。「黄檗宗」は、日本の「臨済宗」と区別するために、明治時代から名乗ったものであり、元々は「臨済正宗」と名乗っていました。日本の「臨済宗」は、鎌倉時代から数百年の時を経て、日本風にガラパゴス化されていった一方で、江戸時代初期に隠元が伝えた「臨済宗」は、中国のオリジナルを受け継いだ正統なものということで、「臨済『正』宗」なのです。
さて、慣用商標「正宗」にまつわる事件としては、「橘正宗」と「橘焼酎」の類否を争った「橘正宗事件」(最高裁 昭和33年(オ)1104号)や、金盃酒造の登録商標「金盃菊」に対して、実際の使用態様「金盃菊正宗」が、「菊正宗」について商標法51条の不正使用にあたるか争われた「金盃菊正宗事件」(東京高裁 平成15年(行ケ)76号)といったものあります。
この内、「金盃菊正宗事件」の当事者「菊正宗」(神戸市東灘区)は、「櫻正宗」から住吉川を挟んだ西側に位置しています。「菊正宗」もまた、かつては酒銘「正宗」の日本酒を販売しており、指定商品「清酒」について商標「正宗」を出願したところ、同様に登録が認められなかったことから、「菊正宗」へ酒銘が改称された過去があります。
******************お知らせ*******************
創英では、2022年12月に【令和4年度
弁理士試験 合格者・これから弁理士試験合格を目指す方向け】に向けた事務所説明会・見学会を開催いたします。
東京・京都・福岡・横浜・武蔵野といった各拠点オフィスにお越しいただき、実際のオフィスの様子を目にする絶好の機会となっておりますので、ぜひお気軽にご応募ください!
お申込みはこちらから。
https://www.soei.com/info/事務所説明会・見学会「令和4年度-弁理士試験-合/
https://careers.soei.com/tour/
*****************************************
0 件のコメント:
コメントを投稿